創建年月不詳。当山は元、楊林庵という。貞享年間(1680年代)玉木氏九代の孫、平左衛門正義本願主となり、 その子長右衛門正盛と力を合わせ新たに一寺を建立、
喜明山慈円寺とした。寺伝によると「敏庵和尚を請じて開山とする」とある。
その後、霊隱義苗、松江大野西光寺より来て慈円寺を再建、大本山妙心寺開山夢相大師の法孫、松江万寿寺中興開山龍関紹寅を勧請開山とし、自ら中興開山ちなり、これより妙心寺派となる。
当山は地方の大豪族玉木家の菩提寺として確立され、歴代住職にも傑出した僧が多かったといわれる。とくに四代榮獄懐倫和尚は地方民の教化に尽くし、またこの寺の興隆と再建に尽力。次代西峰懐俊和尚に引き継ぎ再建された。また、学匠としても地方に於ける道俗の尊敬を得、特に「富興山康国寺再建上棟草稿」並びに「新川地藏尊銘並序」を康国寺、出東仁照寺各住職に代わり著した。
その他、康国寺に伝わる巻物「納勝軒記」(康国寺書院名)も著している。
境内に十王堂あり。言い伝えによると昔、鳶巣落城の時、ひとりの武将負傷して逃れ、慈円寺西畑において死亡。 村民相憐みこの地に十王堂を建立し五輪の石碑を建て、その霊を弔ったという。
その後堂宇廃絶して、後慈円寺境内に安置し、現在は十王堂を建立、安置されている。
また、境内に歌人の江戸二条派の師匠釣月(こうげつ)法師の碑が現存するが風化し碑文の判読不可。
(以上 国富村史から)